中国の歴史のお話し——蕭何、月下に韓信を追う
皆さん、こんにちは〜ASIAQユーザーのEasterです。今回はあるひとつの中国の歴史のお話し——「萧何月下追韩信」(蕭何、月下に韓信を追う)について語りたいと思います。
韓信は中国の歴史上で最も有名な戦略家の中の一人です。
韓信は貧しい家に生まれ、他人の助けに頼りながら、なんとなく日々を過ごしてきました。大人になってから、項羽の軍隊の番人をやっていましたが、項羽に度々行った進言は一度も用いられることはなかった為、韓信は項羽の下から離れ、劉邦のところに身を寄せました。(当時中国では項羽と劉邦が中原の支配権を争っている状態でした。)
劉邦の軍隊に行っても、韓信は劉邦に重んじられることもなく、ただ倉庫の管理を任せられていました。彼は一心に自分の才能を認めて欲しくて、丞相の蕭何と何度も語り合い、終に蕭何に認めてもらいました。蕭何は劉邦に重ねて韓信のことを推薦しましたが、劉邦に韓信の卑しい生まれを理由に断られました。
劉邦に重用されない韓信は凄く落ち込んでいて、ある朝、別れも告げず出て行ってしまいました。それを知った蕭何は劉邦に何の報告もせずに、即刻馬を駆けて追いました。ようやく2日の夜に蕭何は韓信に追いついて、彼を口説きました。
蕭何が出発した後、劉邦は「丞相は逃げました。」という報告も聞いて、居ても立っても居られなくなり、当たり散らしていました。3日後に蕭何が帰って来たとたん、「なぜ何も言わずに出て行ったのだ?」と劉邦は蕭何を問い詰めました。
蕭何はこう返事をしました。
「私はずっと殿のことを慕っており、逃げるはずもありませんでした。私は逃げた韓信を追ってきました。」
その言葉を聞いて、劉邦は困りました。
「昔、士官が何人も逃げたが、何故今回だけ韓信を追いかけたんだ?」
「士官はいくらでもいます。でも、韓信のような人材は天下を見渡してもどこにもいません。殿はただ王になるだけのつもりなら、韓信は要りません。もし天下を取りたいのなら、韓信は不可欠なのです。」
「もちろん天下を取りたい。」
「韓信を残すには彼を重んじるしかありません。重用されなかったら、彼はいつかまた逃げます。」
劉邦は韓信を将軍にさせることにしましたが、蕭何が韓信を大将にすると言い張ったので、劉邦は蕭何の意見を聞いて、盛大な儀式を行って、韓信を全軍を指揮する大将に任命しました。これから、韓信は一つの強い軍隊を育て、項羽に勝ち、戦争で大きな手柄を立てました。そして劉邦もいよいよ漢の初代皇帝になりました。
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